■例会会場での飾りの思い出

私が日本小品盆栽協会東京支部に入った頃は毎月先輩方が教室の片隅に樹を飾ってくれていました。私はその、誰のか聞かなくてもだいたいの察しがつく「らしい」盆栽たちの飾りを見るのがたのしみで、それらがとても刺激になりました。

 

その後先輩方のリタイアが重なり会も活気を失い、その習慣が極一部の人間だけとなり廃れると、それはそれは寂しい会場になりました。私が好きだった先輩の柴崎さんなどもたまりかねて、自分なんかは樹が好きなだけで飾りもへったくれもないけども下手くそなりに樹を出してるんだから、みんなもやったらどうだと、そう皆に呼び掛けたこともありました。普段は人に呼び掛けるなど絶対しない方で、後にも先にもそんなことを言ったのはその時だけです。

 

私は入会後「支部展で飾る」という目標を達成して、その次に「名品展で冬の飾りをやる」という目標を持ち、そしてある方に次の目標を「毎月の例会で飾る」だと話したことがあります。その方はそんなこと簡単だとでも言わんばかりでしたが、たまにやるのは簡単でも、毎月当たり前にやるのは大変なことだと私は思っていました。今実際それを続けているわけですが、樹を準備するだけでなく、樹も鉢も掃除して、必要なら鉢に油を塗って、勉強会でやることと並行して毎月準備していくわけですから、もちろんたのしくてやっていることですが、それだけでは済みません。

でも、運動だって稽古事だって、普段の生活と並行して力み過ぎずに継続させてこそ意味のあることで、故にそこが一番大変なところなはずなんです。

 

最近、過去の写真データの整理をしていたら、私が初めて先輩方の飾りにまぎれて自分の樹を滑り込ませた(まさにそんな表現が言い得てると思います)画像が出てきました。

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挿して、流れをつけて鉢に植えただけの、小さなハゼでした。せっかくハゼが赤く色付いたのだから、たいした樹ではないのは承知だが自信を持って見ていただこうと、そう思ったのをまだぼんやり覚えています。

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先輩方の樹に埋もれ、実際その場では先輩の皆さんから注視されることもなく、「あらこれ誰の?」と、一人だけ私のハゼの存在に気付いてくれただけでした。それもまるで誰かの忘れ物に気付いたかのような反応でした。

でも、それを今でも覚えているほど私の中では記念碑的な出来事で、新しい方にこの時のことを時々話してしまいます。

今からそんな経験は、したいと望んでもできないことですから、この思い出を本当に誇らしく思っています。そして私は今でも毎月樹を飾ろうとしています。これはお手本なんて偉そうなものでなく、まずは第1に「たのしみ」であり、そして私なりの「自主トレ」でもあるんです。