■香姫ヒイラギと枯れ草と道祖神

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先日の日曜は私が代表を務める日本小品盆栽協会東京支部の勉強会でした。画像は私がその日飾った2席のうちの1席。例会では昔からこうして勉強会会場の隅で簡略的な季節の飾りをたのしみます。最近はこうして飾る人も少なくなっていますが、こういった場のくだけた飾りの面白さというものもあるので、是非挑戦して欲しいと思っています。

さて、今回の勉強会では枯草の使い方について私の飾りを例に新しい方へ説明させていただきました。枯草は晩秋という季節と寂しさという心象を表現する重要な要素です。

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枯草については説明したものの、添配の道祖神については軽い説明に終わってしまったので、今回の記事では道祖神について少し書いておきます。

 

今回使っている道祖神は柴崎青閑という方の道祖神です。

道祖神は主に悪霊・悪疫が集落に入り込まないよう村の外れの境界などに石碑や石像という形で祀られた神様で、男女一組の夫婦という形が多いです。

 

「橋」は「端」、つまり村の端からきたという説があるように、村の境は昔なら川で区切られることが多かったようです。道祖神がそういった村の境となる川縁にあると想像してみましょう。

つまり、道祖神の添配ひとつを配すだけでそこには村外れの寂しい景色が広がるのです。

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川縁に生えるのは赤い実を付けた野バラだろうか。一本杉か。もっと寂しくさせる秋の枯れ草だろうか。そこに配してみて、想像の翼を広げる。すると、ただ小さな草木を置いているだけの空間に情景が生まれます。

私の先生は「小品盆栽は園芸の俳句だ」と言っていました。

 

私はこの席をイメージするにあたり、まず主木に満開の香姫ヒイラギから始めました。

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次にそこへ何を添えようか考える。満開のヒイラギに同調するような可愛らしい秋の草花か。この席ではそうではなく、逆にサビの効いたものを配して満開の香姫を引き立てることにしました。枯れて夏の鮮やかな緑を失った風知草。この細い軸も数をできる限り間引いて配する。

それだけでも寂しいが、そこへ道祖神を添えれば決定的。ちょっと隠れるかのように。

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私は前回の記事■ヒイラギ ’香姫’でも記しているように、このヒイラギの花姿に今は亡き先輩への思いと寂しさを持っていますので、このようなサビの効いた飾りが似つかわしいのです。

 

盆栽自体は近代以降に発達した若い文化ですが、そこには日本の文化的手法や価値観、民俗的な信仰など様々な要素が散りばめられています。

そこをたのしまないのは勿体なさ過ぎます。